ピエール・ガレ(1921-2019)は、DNA鑑定が広く導入される以前の20世紀に活躍したフランスのブドウ品種学者です。1921年にモナコで生まれ、人生の大半を南フランスで過ごしました。第二次世界大戦中、彼はモンペリエの国立高等農業学校でドイツ当局から身を隠していました。そこで、世界中のブドウ樹のサンプルを含むブドウ栽培学科のコレクションの中で長い時間を過ごし、さまざまな品種の違いを研究しました。そして、1950年代には、ブドウの葉、新梢、房、実の色、大きさ、種の含有量、風味に基づいて品種を識別するシステムを導入しました。彼の研究の影響力は大きく、「近代アンペログラフィー(ブドウ品種学)の父」と言われるまでになりました。
戦後、ガレはモンペリエ国立高等農業学校で教鞭をとりつつ、アンペログラフィーを牽引しました。その傍ら、アメリカ、南アメリカ、キプロス、北アフリカ、アジア、そしてヨーロッパ各地のワイン産地を訪れ、ブドウ品種を特定するとともに、それらに関わる法的紛争を解決していきました。そのひとつが、イザベラやノアといったアメリカ産ヴィティス・ラブルスカの、ヨーロッパでの使用を禁止する欧州連合の規制に関わるものでした。ガレは、この規制は時代錯誤であると考え、これらのブドウ樹を強制的に抜根することに反対しています。
ガレは、ピノに属する100以上の異なるブドウ品種を特定しています。また、DNA鑑定が普及するずっと以前から、世界中でピノと誤認されたブドウ樹を特定してきました。1980年代には、ピノ・ブランと表示されたブドウ樹が、実はロワール・ヴァレーのミュスカデに使われるムロン・ド・ブルゴーニュであることを発見しています。
