ポール・マッソンは1895 年にブルゴーニュからピノ・ノワールの挿し木を入手し、1896 年にカリフォルニア州サラトガヒルズの新しいブドウ園、ラ・クレスタに植えました。ラ・クレスタのピノ・ノワール・クローンの起源については、ブルゴーニュのワイン生産者ルイ・ラトゥール (マッソンの友人) の畑、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの畑など、いくつかの説が存在します。マッソン・ピノ・ノワールの正確な記録は残っていません。
マーティン・レイ (Martin Ray) はマッソンの弟子となり、1936年にマッソンのブドウ畑とワイナリーを購入しました。1945年にラ・クレスタ近くの山の頂付近にブドウ畑を作り、ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨン、シャルドネ、ホワイト・リースリングを植えました。レイの息子ピーターは、フランスのワイン造りを学ぶためにフランスに旅行しブドウ畑を訪れています。「レイがボーヌからピノ・ノワールのコレクションを入手するために息子をフランスに送った」というメモが残っていますが、持ち帰ったブドウの枝がMt. エデンに植えられたという記録はありません。
レイは、単一品種のワインを造ることに誇りを持っており、「偽品種」に反対する精力的なキャンペーンを展開しました。Mt. エデン・ヴィンヤードとなった土地がレイによって管理されていたとき、このブドウ畑では「絶妙なフルーティさと胡椒のような香り」で有名な、カリフォルニアで最高級のピノ・ノワール・ワインが生産されました。
1971年に、サラトガのMt. エデンでレイが開発した5つの畑のうち4つの管理権がMt. エデン・ヴィンヤードに移管されました。1977年頃、Mt. エデン・ヴィンヤードのメリー・エドワーズはこのピノ・ノワール・クローンをFPSに寄付しました。 FPSのデータベースには「Rae」と記されていますが、意図的なスペルミスであったのか不注意であったのかは不明です。のちに熱処理が行われ、1988 年にピノ・ノワール 37クローン としてリリースされました。顆粒は小さく、深くて強烈な風味があると言われています。
(UC Davis のサイトなどを参照)
ラグフェイズは、2025年よりFPS37.1(アメリカで成長点培養を行なった)クローンをリリース予定です。